天武天皇の子どもたち~大伯皇女~

天武天皇の子どもたち~大伯皇女~

私が天武天皇の子どもたちについて妄想する時、ストーリーテラーとなってくれるのが大伯皇女です。

大伯皇女は天武天皇と太田皇女との間に生まれました。
太田皇女は当時の天皇・天智天皇(中大兄皇子)の娘です。
天武と天智は兄弟。叔父さんに嫁いだことになります。
当時、皇子たちにとって母親の身分が自分たちの身分にもつながりました。
大伯皇女は天皇の孫ということもあり、身分としてはかなり高い地位にあったと思います。

a0001_001075

ただ、太田皇女は大伯皇女が幼いころに亡くなっています。
それは彼女にとって後ろ盾がないことに等しいと思います。
そんな中で彼女の支えとなり、生きがいとなったのが弟の大津皇子です。

大津皇子は、頭脳明晰・スポーツ万能・性格良し・モテモテ。
とにかく非の打ちどころがない感じ。
お姉ちゃんとしては溺愛しちゃうくらいの自慢の弟だったと思います。

壬申の乱が終わり天武が天皇となり、大伯皇女は斎王として伊勢に赴きます。
文献には大伯皇女以前にも斎王がいたと記されてはいますが、新しい時代の新たな祭祀の制度として初めて斎王になったのは大伯皇女ではないかと思います。

a1380_001356

そして、天武崩御後に事件は突然おこります。
勝手に飛鳥京を離れることができないはずの弟がこっそり会いに来ました。
大津皇子は自分に未来がないことを察知し、今生の別れを告げに来ました。
おそらく、その時に初めて飛鳥で何がおこっているのかを把握できたのではないでしょうか。
大津皇子は深夜未明に飛鳥に戻ったのち、亡くなります。

万葉集には大伯皇女が詠んだ歌があります。
飛鳥に戻る弟を心配する歌二首と、大津亡き後の心情を綴った歌四首があります。
どの歌も胸が締め付けられそうになるくらいに切ない歌です。

a1180_008127

磯の上に 生ふる馬酔木を 手折らめど 見すべき君が 在りと言はなくに (万葉集一六六 大伯皇女)

要約すると、「馬酔木の花を摘んだところで、それを見せたい君がこの世にいるとは、もう誰も言ってくれない」
当時は亡くなった人に「会ったよ」と言って慰めてくれる風習があったらしいのですが、大津皇子のことは誰も言ってくれない。
それだけ大津皇子のことを声にすることが憚れた状況だったのでしょう。

大伯皇女は許しを得ずに伊勢から飛鳥京に戻ってきます。
そして二上山に大津皇子を埋葬しました。
二上山を弟と思い、弟がいなくなった無情な時代の中を一人生きました。
その後の時代の流れを見届けながら。


Back to Top