天武天皇の子どもたち~大津皇子~

天武天皇の子どもたち~大津皇子~

大津皇子は天武天皇と大田皇女の間に生まれました。大伯皇女の弟です。

天智天皇が崩御後、父と天智天皇の子・大友皇子の間で壬申の乱が起こります。
大津皇子は近江大津京を脱出、父の元に向かいます。
当時まだ9歳。
戦に参加するというよりは大友皇子側の人質にならないための脱出だったかもしれません。

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大津皇子は20歳頃から朝政に参加します。
大伯皇女の時にも述べましたが、大津皇子は頭脳明晰・スポーツ万能・性格良しのモテモテ。
自分の身分が高いかどうかは気にしないタイプ。
そして、実力から言っても皇太子になってもおかしくはないほどの人気者。

しかし皇太子になったのは草壁皇子
大津皇子の1歳年上で、母は鸕野讃良(うののさらら)皇女。
大津皇子の母・大田皇女の同母妹で、天武天皇の皇后。
のちに持統天皇となる人物です。
もしも、大田皇女が生きていたのならば姉である彼女の方が皇后になり、大津皇子の後ろ盾となっていたかもしれません。

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大津皇子と草壁皇子は周囲から比較されたと思います。
あまり気にしない大津皇子に対して草壁皇子はというと、嫉妬やら何やらと歯痒い思いをしていたのではないでしょうか。

あしひきの 山のしづくに 妹待つと 我れ立ち濡れぬ 山のしづくに (万葉集一〇七 大津皇子)

「山の雫が落ちてくる場所であなたをずっと待っていたのに、あなたが来ないから山の雫に濡れてしまったよ」
これはこっそりと会う約束をしていた石川郎女に待ちぼうけをくらった時の歌です。
石川郎女からは「私はその山の雫になりたかったわ」的な歌が返されるんですが・・・。
実はこの彼女、草壁皇子の想い人なんです。
草壁皇子ふられてる説や、すでにお妃の一人になっていた説があり実際のところは分かりません。
このことが世間にバレてしまった大津皇子はと言うと、見事なまでに開き直ります。
「バレるの覚悟で会っていたんだよっ!」的な。
こういう部分は父親譲りな気がします。

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大津皇子23歳の時、事態は急変します。
天武天皇崩御です。

大津皇子に対して歯痒い思いをしていたのは草壁皇子だけではありません。
鸕野讃良皇女にとっても溺愛する息子のライバルの大津皇子は邪魔な存在でした。

冤罪だったのか、そそのかされて行動してしまったのかは定かではありません。
父亡き後わずか1ヶ月あまりで大津皇子は亡くなります。
謀反をおこした罪によって。

百伝ふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ (万葉集四一六 大津皇子)

「磐余の池で鳴いている鴨を見るのも今日が最後。私の魂は雲の彼方へと消えていくのでしょう」


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